明確な診断が得られないまま、長い時間にわたって、体の不調とともに生きてきた谷田さん。科学的な因果関係の枠組みのなかには居場所がない体を、どこに置くか。不安定だからこそ、さまざまな「関係するかもしれないもの」とつながっていく谷田さんに想像力に、圧倒されっぱなしでした。
谷田朋美さんプロフィール
新聞記者。1981年生まれ。15歳の頃より、頭痛や倦怠感、めまい、呼吸困難感などの症状が24時間365日続いている。2005年、新聞社入社。立命館大学生存学研究所客員研究員も務めている。note連載「私たちのとうびょうき 死んでいないので生きていかざるをえない」(現代書館)。
◎呼吸することに疲れている
谷田 今年の2月にコロナに感染したんですけど、その前ぐらいからちょっと調子を崩していて、会社を時短勤務にしたりして。ようやく調子が戻ってきたなっていうところでコロナになって。最初熱が39度とか出て、あ、これちょっともしかしたらコロナかもしれないと思って調べたら、やっぱりコロナで。その時はまあ熱だけで大丈夫だったんですけど、嗅覚が全然効かなくなっちゃって。鼻が効かなくなることはあったんですけど、本当に何もわかんなくなって、食べ物も全然味わからなくなりました。それは一番つらかったですね。嗅覚異常は今もちょっとあって、100%は回復してないんですけど、まあ70%80%ぐらいは回復しています。体じたいは春ぐらいから動けるようになってきてたんですけど、9月にまたちょっと調子を崩していて。この1、2年、体の調子の段階が下がったなっていう感じがしています。これまではなんとか一日動けてたんですけど、最近は一日動くのしんどい。疲労がひどくなって、重くなってる感じはしてて。
伊藤 疲労はどういう感じですか?夕方になってくると、もう立てなくなるとか…
谷田 時間はあんまり関係ないですね。朝から寝てるみたいな状況になることもあるし、夜になると楽になることもあれば、夜になるとしんどいっていうこともある。決まってないですね。仕事とかで忙しかったりすると、もうそれから数日ぐらい動けなくなったりっていうのはこれまでもあって。それからまたなんとなく、ちょっと動けるようになっていくっていう。それもわからないんですよ。上向いてくるタイミングが、未だにわからなくて。
伊藤 じゃあ、けっこう、法則読めない系なんですね。
谷田 法則読めない系ですね(笑)。
伊藤 前よりちょっと段階が下がったっていうのは、疲れの頻度が上がったってことなのか、それとも度合いが重くなったということですか?
谷田 度合いが重くなったなっていう感じですね。なんか、常に疲労してて、何かすると、多分、普通の人よりもすごい疲れるんですけど、何かをした時の疲れ方が、もっと重くなったっていう感じがしています。
伊藤 疲れる原因としては、単にこう動いたからみたいなことなのか、それとも刺激にさらされたからなのか、精神的なことなのか、特定できますか?
谷田 いろいろありますね。なんか刺激にも弱くて、音とか光とか。
伊藤 あ、そうなんですね
谷田 はい。これも段階的に言うと、脳脊髄液減少症っていう病気を診断された時に、RIシンチ検査をしました。その検査が結構私にはめちゃくちゃ負担が大きかったみたいで、それからなんかすごい光とか音とかがめちゃくちゃ苦手になったんです。それで体調崩すようになったんですよ。でもともと天気も影響してたと思うんですけど、それがはっきりわかるぐらいになったのもその時からで。一番体がしんどいのは、夜遅くまで仕事をすることが若い頃とかあって、そうなると、もう体が翌日動かなくなるみたいなことが結構あって。単純に仕事をしている時の疲労もあるし、光とか音とか香りとか、そういうものの反応もそうですし、生活が不規則になっても、調子崩したりします。
伊藤 疲れるっていっても、たぶん、谷田さんの疲れは、私の知ってる「疲れる」とは違うんじゃないかと思うんです。どんな感じなんですか?「動けない」ということ?
谷田 それが本当に言葉にできたくて…。一応動けるんですけど、今も疲れてて。まず頭が重くて痛いんですよ。
伊藤 頭が痛いんですね。
谷田 頭はずっと痛くて。頭が重くて。それで体が重くて。200mとか300mとかをダッシュして疲れたみたいな状況なのかな。なんか私、呼吸困難感があるんです。最初は過呼吸だと思ってたんですけど、袋で呼吸したりしても全然よくならなくて。じゃあ肺炎やってるから肺のせいかなと思ったんですけど、呼吸困難になるようなものもない。心臓も心電図で毎回引っかかるんですけど、病気っていうほどのものじゃないんですね。
で、私が思うに、呼吸って意識と無意識の間じゃないですか。それで、呼吸するのもちょっとしんどいっていうか、呼吸することに疲れている感じがして。普通の人は多分呼吸のこととか考えないと思うんですけど、私は、「あ、息しなきゃ」っていうか、そういう感じなんですよ。なかなか私、自分の体が信用ならないなって思ってたんですね。呼吸もそうだし、認知症状もあって。料理教室で皮と身を分けるのに、「皮をゴミ箱に捨てて、身はまな板に」っていうのを、何回言われても間違えちゃう。意識では気づいてるんですけど、でも「あ、またまたやってる、またやってる」ってみんなが笑うんですよ。私も自分でもわかってて、「あれ、なんで私こっちやっちゃうんだろう」って。なんかそういうことがたまに多分あって。
それに気づかされたのが、私は夫がそんなことを考えていると思ってなかったんですけど、あるとき、「あ、朋美がここにいない」って思ったって言われたんです。なんか、抜け殻なんじゃないかって。そのときは、私も覚えているんですけど、電車に座ってて、そこでもなんか動かなくなっちゃったみたいなんです。夫から見ると、もうめちゃくちゃ怖くて、自分は、私がいなくなったこの体に殺されるんじゃないかっていう恐怖を覚えたって言ってたんです。
伊藤 話しかけても返事しない、ということですか?
谷田 たぶん1分間ぐらいなんですけど、息止めちゃ…息が止まってて。で、瞬きもしないんですよ。私、バリダンスをやっていたんですけど、そんな感じで目を見開いていて。でも、私の中ではで、その時のことは、覚えてて。
伊藤 あ、そうなんですね。
谷田 乖離とかじゃないんですよね。そのときに私はめまいがひどくて、脳が揺れるような感じなんです。それで、ああ、やばいやばいと思ってすごい耐えてたんですね。で、私の中では正常に行けていると思ってたんですけど、はたから見ると全然正常に見えてなかったんだと思って。そのことになんか初めて気づいて、よく、最初は普通に接してくれてた人たちが何の理由もなくすごい引いていくっていう経験が結構あって、それってそういう状態になった私を見て、ちょっとこいつやばいやつみたいに思われてたのかなとか思って。なんかその「自分が何をやらかすかわかんない」みたいな感覚がずっとあったんですけど、でも、もしかしたら、自分の体の中があまりにも大変なので、疲れていて、自分はそっちにすごい集中しているんですよね。だから集中力がなくて認知症状が出ていると思ってたんですけど、集中力がないってわけじゃなくて、集中が内側に行っちゃってて、でだけど体は自動でカバーしてくれたのかなと最近思うようになって。だから信用ならないんですけど、ちょっとカバーもしてくれていて、でもカバーしきれてないから、ちょっと変な人間に見られてるっていうことがあるのかなと思って。
なんか呼吸とか、瞬きとか、普通の人が普通にやれることの一つ一つに、多分疲労を感じてて。呼吸とか瞬きとかも止まっちゃうし。そうやってると耐えられる感じがなんかしてて。確かに私はその時、呼吸も止まってて、瞬きもしてないなって言われるとすごいわかるし、実際そうだけど、ちゃんとうまくやれてるその場にいられてると思ってたんです。でもそうじゃなくて、多分夫だから言ってくれたのであって、他の人はちょっとこの人怖いなって言って去ってたのかなって思っています。
伊藤 なるほど…。じゃあ結構「耐える」っていう感じなんですね。
谷田 耐えるって感じです、はい。
伊藤 それはめまいがひどくなりそうだという予感を押しとどめようとしてるっていう感じですか?
谷田 そうですね、押しとどめようとしてるのもあり、あとすでに起こってるものに備えるっていうか。「体を固める」みたいな感じですかね。
伊藤 おそらくそれができるのは、「症状がこれからどうなるのか」や「こうするとどうなるのか」が、長年の経験から分かるということですよね。何十年分のスキルという感じがします。その「固める」は、主にめまいのときですか?
谷田 めまいがやっぱり一番大きいかなって思うんですけど、疲労がひどい時もそうかもしれないですね。
伊藤 なるほど、めまいが急に来るわけですね。外とかにいて。
谷田 そうですね、はい。
伊藤 それが脳は揺れる感じなんですね。
谷田 脳が揺れる感じっていうのは、なんかひどくなるとこう後ろからガッて襲われてるような感じになるんですけど、そこまで行かなくても中が揺れてる感じなんですよね。
◎空気が入っていかない
伊藤 脳脊髄液減少症というのは、どういう病気なんですか。
谷田 脳を浮かべている髄液の液が漏れることで、いろんな症状が出るって言われています。私もそれを診断されたんですけど、医学的には賛否両論があって、どっちかっていうと、あの反対意見の方が多い病気で。ただ、交通事故のときのムチ打ち症状で調子悪くなった人たちが、脳脊髄液減少症という診断がつくことで保障の対象になる可能性があるということがあり、マスコミなんかで結構言われるようになっています。だから社会的には割と知られているんですけど、医学の世界では全然相手にされてない病気で。私自身も正直、そのあたりのことはよくわからない。
ただ、先生がおっしゃってたことで、ピンとくるなと思ったのは、脳脊髄液減少症は、背が高くて首が長くてっていう人が多いっていうことです。私も、体型的なものがなんか影響してる気がしていて。
伊藤 なるほど。症状に気づいたのはいつですか?
谷田 15歳のときです。受験勉強していて、夜遅くまで勉強しているから調子悪いのかなってずっと思っていたんです。頭が痛いな頭が重いなっていうのが最初で、疲れが取れなくて、呼吸しにくいとかいうのもちょっとあって。でも病院に行っても「まあ多分疲れているんでしょう」ぐらいに言われて、血液検査とかでも異常なしだったんです。でもそれが大学に入ってもずっと続いてて、しかも認知機能が落ちてるのがちょっと心配だったのと、あと左側が動きにくいっていうのをずっと感じてて。大学で結構ぼーっとしてた時もあったのに、それでも全然疲労が回復しないので、これは疲れが取れないとかいう話じゃないんじゃないかって。だけど、どこに行ってもわからず、大学卒業して会社に入りました。
大阪が初任地だったんですけど、結構昼夜逆転みたいな仕事になって。それでうつ病になったんですね。うつ病は回復したんですけど、ちゃんと見てもらおうと思って、最初はやっぱり脳神経内科に行ったんです。そしたら、左半身にちょっと麻痺があるって言われたんですね。多発性硬化症の可能性があるって最初は言われて検査したんですけど、まあ80%ぐらいは否定できるっていうことになって。そうなると、なぜ麻痺が起こってるのかわかんないって言われて。精神的なものじゃないかっていうことで、その前から発達障害じゃないかなっていうのは感じていたので、心療内科に行って発達障害の検査をしました。当時はIQ検査だけだったんですけど、やっぱり認知のところ、覚えられないっていう能力の差が結構あるってことを言われて、ADHDの可能性はあるねっていうことを言われました。
その後しばらく私も、記者として取材をしたり、発達障害の人たちの会とかに参加してたんですけど、確かに、集中力がないとか、頭の中がいつもごちゃごちゃで家の中もごちゃごちゃとかいうのもあるんですけど、それ以上に体のしんどさっていうか、疲労がやっぱりきつくて。誰に聞いても「まあ、疲れたりはする」っていうのはおっしゃるんですけど、なんか仕事で大変だったりとかした時にクラッシュっていうか、バタって倒れちゃうみたいなことはやっぱないって言うんですよね。今は複合的な要因でこうなってるって思うんですけど、やっぱり発達障害の人たちとも私は困りごとがちょっと違うなって思ってて。そこからまあ、脳脊髄液少症って分かってからも、ちょっとすっきりしない感じで、いろんな病名を言われてきたものの、これは別に私に限らないんだと思うんですけど、同じ病気でもやっぱりちょっと違うなっていうのは、ずっと感じています。
伊藤 じゃあ脳脊髄減少症の方とやり取りしたこともあるんですね。
谷田 そうですね。その脳脊髄減少症の人もそうだし、慢性疲労症候群の人たちとは、患者会に声かけられて理事をやってくれないかって言われて、しばらく理事をやってた時もありました。でもやっぱり慢性疲労症候群とかは、今はコロナの後遺症とかで結構知られるようになってきたんですけど、当時はずっと疲労が続くっていうことが、あんまり医者にも信用されてなくて。「詐病」とかって言われたりしてたんですね。専門医も重い病状のほうを大事にするし、患者会でも「あの人は慢性疲労症候群だって言ってるけど、本当は違うんだ」とかいう話が出たりして、私はなんかそれがもともとちょっと違うなって思ってたところに、いろいろな事情が加わって、活動からは離れたんです。
伊藤 いつも思うんですけど、程度の違いって実はすごい大きいですよね。でも理解されない。
谷田 そうなんです。
伊藤 認知症とかも、「いや、私もよく物忘れするよ」とか、みんな話として返しちゃうけど、でも全然違うんですよね。疲れも似たところがありそうですね。
谷田 私の呼吸困難って何なんだろうってずっと思ってて。やっぱり体がしんどくなると、途端に呼吸に来るんですよ。息ができないと、精神的にもしんどくなってきて。それはパニック障害の薬を飲むと、呼吸のしんどさはましになったって言われてもましになってないんですよ。普通だったら、私は、他のパニック障害の人がどういう感じなのかわからないんですけど、少なくとも私に関しては呼吸は楽になってないんですね。呼吸がもうあのできなくなるっていう不安感はなくなるんですけど、不安感は消えても呼吸困難自体はずっと続いてて。
伊藤 それってどういう感じですか?口を塞がれてるみたいな感じなんでしょうか?
谷田 どういう感じなんだろう…口よりも胸をふさがれて、圧迫されてる感じがいつもありますね。
伊藤 空気が入っていかない感じですか?
谷田 入ってかない感じがあります、はい。
伊藤 吸っても肺を膨らませられないみたいな。
谷田 そうですね。口のあたりまでは入るんだけど、そこから先に入っていかない、みたいな。そんな感じですね。
伊藤 力が足りないっていうことですか?
谷田 それもあると思って。なんか筋トレしてるんですよ、私。
伊藤 いろんなことをやっていらっしゃいますね(笑)。
谷田 横隔膜を動かせないと呼吸困難になるっていうことを聞いて、めっちゃ横隔動かすのをヨガでやっています。
伊藤 ヨガみたいなゆっくりした呼吸をしてる時は大丈夫なんですか?
谷田 でもヨガみたいなゆっくりの呼吸でも、やっぱり息入りにくいなと思いながらやってますね。でも、とりあえず鍛えたら、もうちょっと呼吸が良くなるって思って、もう20年ぐらいヨガやっています。
伊藤 胸の上からものが乗ってて重い、みたいな感じもありますか?
谷田 そういう時もあるんですけど、普段はそうじゃないですね。口の周りあたりまでは入ってる感じがあるんですけど、そこから入っていかない感じがしますね。
伊藤 感覚だけではなく、本当に入っていっていないんですかね。
谷田 レントゲンとかでは大丈夫とは言われて。ただ、私の肺は長細いみたいで「換気が悪い肺だ」って言われるんですよ。昔だったらちょっと結核で死んでたタイプだねとかって言われたりして。祖母が確かに肺がんって亡くなってたり、自分でも気づいてないうちに肺炎になってたりとか、結構肺炎の跡がいくつもありますって言われたり。決してあんまりいい肺じゃないみたいなんですけど、でもそれで呼吸困難とかいうような病気ではないんですね。
伊藤 なるほど。まず「呼吸頑張る」っていうのが基本的な負荷としてあるわけですね。
谷田 あります。良くなったり悪くなったりで、そこが基準ですね。呼吸が悪くなってくると、やっぱり寝たきりみたいになってくるんで。
伊藤 寝てると呼吸は多少楽なんですか?
谷田 楽にならないです。でも動けなくなるっていう方が正しいかな。なんか動くとしんどいので横になってるけど、でも横になってても全然良くなんないんですよ。
伊藤 呼吸って逃れようがないですもんね。
谷田 全然良くならなくて。慢性疲労症候群の人に何人か話を聞いたことがあるんですけど、みんな対処法がないって言ってて。もう寝てるしかないよねって。40年ずっと寝たきりの人もいます。私はちょっとまだ回復できていますけど、去年もちょっと体調悪くて、今度こそ私はもう回復できないかもと思っていまして。でもまた良くなる合図が呼吸なんですよね。呼吸がちょっと楽になってるって気がつくと、ちょっと私ましになったなって思うんですよね。
伊藤 睡眠中は呼吸が苦しくて目覚めることはないですか?
谷田 呼吸が苦しいと自分で思ったことはないですね。よく目は覚めるんですけど、呼吸がしんどくて起きるっていう自覚はないです。
◎原因探しが生まれる前までひろがっていく
伊藤 対処しなきゃいけないことを、持ち切れないくらいいろいろ抱えながら生きてらっしゃるということですね。
谷田 そうなんですよ。でも傍からは多分そんなにそう見えない。だから生きてこれた部分もあるんですけど。これは公にはしてないことなんですけど、ほかにもちょっと病気があって。それも発症しないと、診断されないんですよ。それもいつ来るかわからなくて。なんか自分の体がしんどいし、しかもちょっと時限爆弾を抱えているみたいなところもあって。異常が出ない限り診断されないし、診断されたからといって対症療法しかないのでどうしようもないんですけど。
伊藤 その病気があるっていうのはどこで知ったんですか?
谷田 最近、人間ドックでわかりました。近年わかってきた病気だから、普通の病院ではわかっている方もあまりいらっしゃらなくて。人間ドックでたまたま大学病院の先生が来られていて、ずっと私同じ兆候があったのに、その時初めて言われて。
全部診断つかないんですよね。心理的なものと身体的なものと、そういういろんな要因が複合的にあって、ずっと疲労があって、もう回復しないのかなって自分では理解してるんですけど、ちょっと…だから説明のしようもなくて…はい。
伊藤 じゃあ…なんか不気味ですよね。
谷田 不気味なんです。慢性疲労症候群の人たちとかを見てると、年を取って、50代とか40代とかで寝たきりになっちゃったっていう人の話を聞いていて。それも「いつ来るか」っていうのはあるんですよ。私ももう40過ぎたので、なんかそういう意味でも怖いなって。だから今のうちにできることをしておこうみたいな気持ちはあって。
伊藤 なるほど。その辺が時間感覚にも影響していそうですね。
谷田 これはちょっとピントのずれた話かもしれないんですけど、なんか原因がわからないんで、逆に原因をめちゃくちゃ考えちゃうんですよ。普通だったら、まあ、切ったら血が出て、それで怪我ですねっていうところで終わるところが、なんかその臓器の異常がわかんないので、いろいろ考えてしまって。私の父とか、祖父とか、自分の家の歴史とか、あと私広島出身なんですけど、原爆の影響とか、そこまで考えてしまって。なんか、痛みの話をするときに、一族の歴史と土地の歴史とが一緒に何かこう…私の体がいろんなことで生まれる前から傷ついていて、生まれてからも、いじめにあったりとか、そういうことまですごい自分の幼少期をたどって原因探しを相当していて。あのときこういうことがあった、ああいうことがあった、とかいうことを、体調が悪くなるたびにそれ全部思い出すんですよ、全部。
伊藤 なるほど…なるほど…。
谷田 私のちっちゃい頃の記憶もあるし、生まれる前の私の記憶していない記憶とかも出てきて、広島のこともそうだし、あとは曾祖父が大正時代に事業に失敗して没落するんですけど、それで祖父がアルコール依存症になって、それで父が傷を負って、その父の影響で、私が…みたいな。でも妹たちは別に元気だから共有できないんですけど、やっぱりそこまで原因をさかのぼって考えちゃう。医学的には原因を解明することで治すっていうのが合理的なやり方だって思われてるんですけど、それ以上にさかのぼっていくと、うん、何考えているんだろうみたいなことになってきて。うまく診断がストップをかけてくれているものが、ストップがかけられないからずっと考えちゃうんですよ。
で、それをもうやめようって、ある時思って。これが悪いあれが悪いっていうのを考えるのをやめようって。それで原因探しをやめたんですけど、ただ、やっぱり、痛みが来るたびに、考えちゃうんですよね。私の友達が同じように病気名わかんないまま亡くなったんですけど、その人が亡くなる数ヶ月前から「長生きすることは救い」ってことずっと言ってたんですけど、私の中でもたくさんの傷を受けた体があって。その、傷を受けなかった体が生きられた時間と、傷を受けた体が生きられる時間とがあって、生き延びるってことが、なんか抵抗だっていう感覚がありますね。まあこれ私だけじゃなくて、多分サバイバーって言われる人、みんなそうなのかもしれないですけど。
伊藤 すごいですね。すごいお話ですね。そういうふうに考えたことなかったです。診断がつかないから、原因探しの果てしない…
谷田 …旅に出てしまってですね(笑)。で、それがまたもう自家中毒っていうか、ある種の自傷行為みたいなところもあったりして。傷を思い出していく感じで。それはもしかしたら関係のない傷かもしれないんだけど、そういう関係のないかもしれない傷も、自分の傷として感じちゃうところも多分ある。自分の体調が悪くなるたびに、なんかその時間感覚っていう意味では…体に刻まれてる傷とか、そして削られてしまった寿命とか、そういうことをずっと考えてしまうっていうのはありますね。伊藤先生との対談で、樋口直美さんがいろんな時間が同時に存在するというお話をされていて、それもすごくわかる気がすると思いました。だから私、体調が悪い時になんかこう一緒にいる感じがするんですよね、記憶したことのない記憶と。
伊藤 記憶したことのない記憶…。そうやって旅をするなかで、友達みたいなものは見つからないんでしょうか?原因探しをする中で、逆に力をもらえるような記憶だったり、いっしょに旅をしてくれる記憶だったりが見つかるということはありますか?
谷田 ありました。はい、ありますね。自分は病気で、自分の人生を本当に受け入れられずにきたんですけど、そこがちょっと受け入れられそうだなっていうふうに感じたことがあって。私の親しい友人の恋人が、30歳で亡くなったんです。私は会ったことがない人なんですけど、その彼女のことが、私はその友人よりもなんかすごい友達のように感じていて。
伊藤 なるほど。
谷田 彼女も広島出身だったし、スキルス性胃癌っていう若い女性に多い病気で亡くなったんですけど、幼少期にずっと性的虐待を受けていて、ずっと死にたいっていう思いで苦しんでいたり、解離症状とかあったりして、結構大変だったようなんです。それで20代半ばで癌になって、30歳で亡くなられたんですけど、その時に私も同い年くらいで、体が一番しんどい時期だったんですね。なんでそんな気持ちになったか分からないんですけど、その人が幸せになれるんだったら、自分は何でもするから、みたいな気持ちになったんです。あれなんだったんだろうって、不思議なんですけど。
伊藤 面白いですね。会ったことない人なのに、すごい感情が揺さぶられたんですね。
谷田 その人の痛みがわかるはずはないんですけど、なんかその時、私自身もしんどかったから、なりきってしまって。彼女だけじゃなくて、当時体調が落ち込んでいたからかもしれないんですけど、いろんなこう人の感情を自分の感情を区別できなくなっていて。ちょうど震災の時だったんですよね。その震災の映像とか見ると、ちょっとした表情とかがもう全部入ってきてしまって、見れないっていうような状態でした。そんな時に、彼女のことを聞いたので、入ってきちゃったのかもしれません。
でも、なんかその時に私ってすごく自分の体を牢獄のように思っていて、この体から逃れられないと思ってたんですけど、普段はその体が逆に言うと、防波堤になってて、そういう人の感情とか、そういうものを入れないようにしてくれてて。でも、なんかそういうものが入ってきた時にちょっとその牢獄から出られた感じがしたんですよ。
伊藤 面白いです。体は牢獄だけど防波堤でもある。防波堤としての機能がうまく働いていないときに、かえって牢獄としての拘束力も弱まったという感じですかね。
谷田 すごくしんどかったんですけど、でもずっと自分はこの牢獄にいるように思ってたので、その彼女のこととか、過去のこととかをさかのぼっていって、それが他人事じゃないってことがなんか…。
伊藤 うんうん、そうですね。
谷田 あと私は祖父が出征してるんです。本人からは聞けていないんですが、新聞記者として祖父に近い経験をされた人に話を聞いて、単純に圧倒されたんですよね。原因をもとめて過去を遡る中で救われたものがなんかある気がします。
伊藤 それはいわゆる同情みたいなこととは多分違う出来事ですよね。病気がなかった場合の出会い方とは違う出会い方をしてるってことですよね?
谷田 そうですね。彼女は癌で亡くなって、周りも癌で亡くなったって思っているんですけど、本当はやっぱりずっと虐待を受けててっていうことはまあ知っている人は知っていて。そのことと寿命っていうのが、私はなんか関わっていうふうに感じたこともあって。癌で亡くなったんですけど、でもその前からやっぱりすごく傷ついて痛んでたことは、なんか関わっていたんじゃないかとか思って。
伊藤 なるほど。ちょっと残酷というか、もしかしたらちょっと宗教的な質問になっちゃうかもしれないですけど、そういう傷が、人によって量が違う感じがあるじゃないですか。そのことを、どうやって納得したりとか、説明したりとか、まあそもそも説明いらないって思ってらっしゃるかもしれないけど、どういうふうに受け止めていますか?
谷田 そうですね…。もっと傷を受けている人たちはたくさんいるし、なんか病気のことはコントロールできないって多分思って生きてきましたね。けど、そう、だから私、多分病気じゃなかったら、もっと違うことしてたと思うんですけど、大学時代も高校時代も、ずっとそういう傷を受けた人たちがどう生きているのかってことにすごく関心があって。その延長線上で今この仕事をしているような気がして。それでその強さみたいなものにやっぱり救われているところはすごくある気がします。自分が聞きたいし、教えてほしいって思えたことがまだ良かったというか。そこで傷を負ったままになってたら、自分はどうなってたのか、もっと大変なことになってたと思うんです。そこで傷を持っている人たちに出会って、それは全然違う傷なんですけど、すごく尊敬している部分もあって。それが逆に私自身の生き方に返ってきているから、なんとか生きてられるのかなって感じがします。
伊藤 お仕事の中で印象深いインタビューはありますか?
谷田 あります。本当にどれも印象深いんですけど、やっぱり戦争の体験が私は一番印象深いです。出征した人の話を祖父たちからは聞けなかったので、その話がある意味では一番印象に残っているかもしれないです。
伊藤 面白いですね。同じ病気の人ではなくて、むしろ違う経験をしている人の話が、「傷」ということで自分とつながってくるんですね。
谷田 そうなんです。そこに多分力をもらってるのかもしれないと思いました。
伊藤 インドネシアに行かれてたのは学生のときですか?
谷田 そうです。それもまさにその話で、当時、東ティモールがインドネシアから独立するかしないかっていう時期で、私は、正直生きていけるか自信がなかったんですよ。どうやって生きていくんだろうって思った時に、すごく極端に「紛争とか戦争とかそういう死に直面している時に、人はどうやって生き延びるのか」って思って。正直、死ぬ覚悟で、先が全然見えないので、先が見えないんだったら本当に先が見えない人たちがどうやって生きているのかを知りたいって思って。それは日本ではなかったんですね。
伊藤 そっか…すごいことですね。それじゃあティモールに行ったってことですか?
谷田 ティモールは私が行った時は独立して半年ぐらい経ってて。でもまだ、国境地帯とかはまだ落ち着いていなくて。ティモールの友人が自死したということもあって。たまたま私が行った時に、西パプアっていうところが独立紛争をやってて、今もやっているんですが、その時にゲリラが街を襲って、警察とちょっと交戦状態になって。それで軍が来て街が包囲されちゃって、外国人1週間以内に立ち退けって言われて。それで立ち退いたんですけど、その時に一方で、バリアム峡谷っていうところに昔ながらの生活している人たちがいて、でそういう人たちが、何日もかけてやってきて酋長会議っていう、武力じゃなくて言葉で戦うっていうことをして、自分たちの憲法とかルールとか作ってるのを見せてもらったりして。その時に「君、何もできないただの学生だってわかってるけど、でも伝えることはできるでしょう」っていうことを言われて。それで「あ、そっか。私、もともと病気とかじゃなかったら、恐竜関連か国際協力関連の仕事をしたかったんですけど、体力ないからどっちもできないと思ってて、でも伝えるっていうことだったら、あ、できるのかな」って思ったんです。
伊藤 すごいですね。ティモールでそういう出会いがあり、実際に記者になられたということですよね。
谷田 先が見えなくて。すっごいめちゃくちゃいろいろ考えてるんですけど、今往復書簡をやっている相手の方はよく「生存戦略」っておっしゃるんですけど、でも戦略なんか立てられないっていうのもあって。
伊藤 それは先が見えないからってことですか?
谷田 そうですね。先が見えないから立てられない。でも一方ですごい考えないと生きられないから立てないといけないっていう両方があって。
そのたびごとに、人と出会うことで、ちょっと見えた、ちょっと見えたっていう感じがあって。
伊藤 いろいろな傷同士のつながりみたいな中に自分を置けば生き延びられるみたいな、そういう感覚っていうもの自体はもともとあったんですかね?
谷田 ああ…あったのかもしれないです。小説が好きだったんですよ、ちっちゃい頃から。だからどこかに自分と同じように状況も全然違うけど、でもなんか通じるっていうか、何か同じように悩みを抱えている人はいるだろうっていう変な楽観主義みたいなのがずっとあるんですよね、全然根拠ないんですけど。
2024/10/31 @東京科学大学大岡山キャンパスにて