Research

桃子さん

吃音と制作はどんな関係があるのか?もちろん関係は単純ではないけれど、意識で身体をコントロールする=ペインティング=難発になると桃子さんは言う。そこから自分から「離す」ためのシルクスクリーンや、文脈のずれを志向するコラージュへ。ていねいに言葉をえらびながら話してくださいました。


桃子さんプロフィール

2003年生まれ。関西の美大に在学中。

現在は、つくることとつくらないことの間をふらふらと漂うような姿勢での、生活の延長線上にあるような制作、zineや日記本に関心を持っている。

 

 

◎体がまだちょっと追いついていない

桃子 ポストカードもってきました。

 

伊藤 えっこれは桃子さんがつくった作品?

 

桃子 そうです。

20240116074857.jpeg 

伊藤 これは、絵ですか?絵じゃないのかな?

 

桃子 写真も…コラージュしてて。

 

伊藤 どういう状況なんだろう…これは町ですよね。

 

桃子 これは部屋で…棚で…

 

伊藤 そしてプリン(笑)

   今日のテーマは吃音ですけど、それは制作にも関係していると思いますか?

 

桃子 いま大学3年生なんですけど、2年生のときのコースが現代アートコースで。でも3年生になってから洋画コースに転コースして。(スマホに「洋画コース」と打ち込んで見せてくれる)

 

伊藤 洋画コースってハードル高くないですか?

 

桃子 まわりは油絵を描いたりしてるんですけど、私はシルクスクリーンとかをやっています。で、この「洋画コース」っていうのがすごく言いにくくて。

 

伊藤 ああ…言いにくいときは、普段からスマホを使って見せたりするんですか?

 

桃子 コース名なので言い換えができないので、どうしても言わなきゃいけないときには、なんとか絞り出しながら言うんですけど、そうじゃないときは「私は版画をやってるけどまわりは油絵をやってるコースにいて」みたいな言い方をしてます。

 

伊藤 なるほど…。「や・ゆ・よ」が難易度高めですかね。

 

桃子 「や」「ゆ」はちょっと言いやすいんですけど、「よ」が何か言いにくいみたいで。

 

伊藤 「ようかん」とかも言いにくいですか?

 

桃子 「ようかん」は行けるかな。何で?(笑)

 

伊藤 けっこう明確な理由がなかったりしますよね。

 

桃子 なかったりしますね。

 

伊藤 言わなきゃいけないというシチュエーションが発生するだけで言えなかったりしますよね。

 

桃子 私のいる領域が…「美術領域」っていうところで、その「洋画コース」なんですけど…

 

伊藤 分かります。「美術」言いにくいですよね。私もいつも「アート」か「芸術」に逃げます(笑)

 

桃子 自分に関係する名前とか所属とかのほうが言いにくい気がしますね。ほうが、というか、かぎって、というか。

 

伊藤 ほんと、何ですかね。名前はどうですか?

 

桃子 小中学生のときはすごい言いにくかったんですけど、最近はもう、もうではないけど、ちょっと、言いやすくなったかな。

 

伊藤 症状としては「難発」がメインですか?

 

桃子 そうですね。難発がメインですね。

 

伊藤 でも難発だけど、しししし…みたいな感じで、助走があるというか、さざ波系じゃないですか(笑)

 

桃子 (笑)分かります、さざ波系。

 

伊藤 さざ波してると、言えるようになるっていう感じですか?

 

桃子 どうなんだろう…タイミングをうかがってますよね、やっぱり。伊藤さんの『どもる体』で、難発で止まっちゃうけど、連発はバグ、という話がすごく印象的で、自分の中にあった感覚がそういうふうに表現されるのか、そうか、と思いました。

 

伊藤 ありがとうございます。それって、今まではそういうふうに捉えてなかった、ということ?

 

桃子 とらえてなかったです。連発も難発もしんどさがあるんですけど、難発のほうがつっかかってる感が大きい。反対にいえば連発のほうが、まだちょっと、つっかかりつつもタイミングを見計らうところに体が行けてる、みたいな感じがあるのかな、と思っています。

 

伊藤 さざ波は連発ってとらえていいのかな?「タイミングを見計らうところに体が行けてる感じ」は、いわゆる連発のときと、さざ波中のときで違いますか?

 

桃子 さざ波のほうは、気持ちは言う方に行きたいけど、体がまだちょっと追いついていないっていうことなのかな、と。

 

伊藤 なるほど、そういうことなんだ!

 

桃子 や、どうなんだろう…すごい今感覚で言葉を出してますけど。

 

伊藤 いわゆる連発になることもありますか?

 

桃子 たぶん、昔のほうが連発は多くて、成長していくにつれて、隠そうみたいな意識が、意識的にじゃなくても働くようになって、難発が増えてきた感はあって。

 

伊藤 でも難発つらいですよね。

 

桃子 つらいですね。

 

伊藤 とはいえ難発がでるのは本当に最初だけですね。たとえば「きょう、ケーキを食べました」って言いたいときに、人によっては「きょう」の「き」で難発して、「ケーキ」の「ケ」でまた難発してっていうふうに文節ごとに難発になるけど、桃子さんはわりと「きょう」だけですね。

 

桃子 小学生中学生ときはわりと文節ごとだったんですけど、最近は、最初だけ言っちゃえば言える、というふうにはなってきました。

 

伊藤 勢い重要ですね。発射しちゃえばあとは行く、という感じですね(笑)

 

桃子 作品のコンセプトを話すなかで、この表現が自分の思うニュアンスに合っているのに、どうしてもそれが言えなくて、言い換えをしてちょっと違うふうに伝わっちゃった、ということはあって。

 

伊藤 本にも書いたんですけど、言い換えって肯定派の人と否定派の人がいますよね。さらに肯定する人のなかでも、シチュエーションによって、これは言い換えてもいいけど、これは言い換えたくない、というのがあると思うんですよね。作品のコンセプトを言うときは、一番言い換えしたくないシチュエーションですよね。

 

桃子 この言葉じゃなきゃだめ、みたいな。

 

◎シルクスクリーンの冷たさ

伊藤 大学の友達や先生と吃音の話はしますか?

 

桃子 したことはあります。

 

伊藤 でも、作品のコンセプトに吃音が入る、みたいなことはないですか?

 

桃子 それちょっとメモを見ていいですか?

いまやっているシルクスクリーンは版画ですけど、高校のときは美術部で油絵とかを描いていたんです。絵って体で直接操作する、筆を持ってこの場所に赤を置いて青を置いて、という感じなんですよね。だから体を思い通りに動かしていくんです。それがだんだんしんどくなってきて。

 

伊藤 それは思い通りにいかないことがしんどくなってきたということ?

 

桃子 うーん、何だろう。ちょっと逸れるんですけど、吃音のこともそうですけど、右耳があまりよくなくて、ルックスに対するコンプレックスがあって、自分の身体とされているものに対する制御できなさがあるなっていうことに気づいて。生物的に女性だったら生理があったりして、でもこの体で生きていかなくちゃいけない。

 

伊藤 「自分の体とされているもの」ってすごい繊細な表現ですけど、そういう感じなんですね。

 

桃子 そうですね。だから、その中で、心にあるものを出すときに、いったん体を通してじゃないと出せない。絵は、体から出るぞってなったときにすごく操作をしなくちゃいけないという感覚になって。でも版画は、ある意味で機械的に作業とか手順が決まっていて。

 

伊藤 そういうことなんだ!

 

桃子 意識で身体をコントロールする=ペインティング=難発になるんですよね。

 

IMG_4505.jpg

伊藤 それは実際に筆を持って描いているときに、うまく描けないっていうことがリアルに起こるということですか?

 

桃子 起こります。描こうとしても、何を描けばいいのか分からない、描くことができないっていうのと、これを言おうとしてつまるっていうのが、近いのかなと思っていて。

 

伊藤 それって思ったように線が引けない、というような「器用さ」みたいな運動レベルの話なのか、思い描いていることがビジュアル化できない、みたいなコンセプトレベルの話なのか、どっちに近いですか?

 

桃子 運動なのかな、どうなんだろう。

 

伊藤 ノートとかを拝見すると、もともとすごく器用な方なのかなと思ったんですよね。細かい作業が得意なのかな、と。

 

桃子 コンセプトなのかな…

 

伊藤 運動とコンセプトはあんまり切り離せないんですかね?

 

桃子 あ、そうかもしれないです。

シルクするクリーンだと、写真とかもそうなんですけど、自分の意識とはちょっと遠いところにある、冷たさがあるんです。それぐらいの感じが、心地よいんです。

 

伊藤 面白いですね。逆のパターンもありえると思うんですよね。たとえば摂食障害の方の中には、学校生活などが思いどおりにいかないと、唯一コントロールできる体をどんどん追い込んでコントロールしようとしてしまう人がいるんですよね。同じように考えると、しゃべるのは制御できないから、その分、絵を描くことについては徹底的に制御しようっていうふうに、思い通りになる領域を探していくという発想もありえると思うんですよね。でも桃子さんの場合はそうはなっていなくて、むしろ距離をとるというか、冷たくしていったところに居心地によさを見出そうとしていて、そこが面白いなと思いました。

 

桃子 そうですね。「こうしたい」という意識はすごくあって、でも身体は思い通りに動かないってなったときに、離すしかないってなったんですよね。

 

伊藤 その「離す」感覚って、偶然の要素が増えるという感じですか?

 

桃子 あ、それもあるかもしれないです。それこそ美術だと、シュルレアリスムとかコラージュのように、「こうなるはずだ」って想定される文脈がずれていくことに関心があります。先生からも、作品にちょっとずれがあるって言われていて。そこはまだ深掘りできていないんですけど、これから考えていきましょうねって。

 

伊藤 となると、最初に見せていただいたポストカードも、コラージュでけっこうズレがありますよね。

 

桃子 そうですね。

 

伊藤 この線はあとでデスクトップ上で加筆されたのかなと思うんですが、こういうのは一発勝負で引いてるんですか?

 

桃子 これはけっこうやりましたね(笑)

 

伊藤 最後に「この線でよし」と判断した基準はあるんですか?

 

桃子 色彩ですね。ピンクとミントが両方見えつつ、全体のバランスを見てこれだ、と思いました。

 

伊藤 なるほど。さっきの「離す」は「体から距離をとる」っていう言い方であってますか?体とアウトプットのあいだに距離をおくっていうことなのかな?

 

桃子 なのかな…前は体から逃れたい、みたいなことを考えていました。でも実際には逃れることができないから、できることとしては、体から距離をとる、なのかな、と。

 

伊藤 体からよりをとるのがうまくなったり、いろんな方法が増えたりしている最中なのかな、と思うんですけど、それが実際に難発が起こっているときの感じ方に影響を与えたりはしていますか?

 

桃子 あんまり意識したことなかったですね…。美大に行っていると、制作が自分のなかで大きくなると思うんですけど、その制作でそういうことをやっていたら…でもどうかな…コンビニで「お箸つけてください」とかはいまだにずっと言いにくいな(笑)。生活のときはすごく捻り出すけど、自分が大事にしている制作のときだけは、距離を置けたらいいかな、みたいな感じなのかもしれない。コンビニは生活するために必要だから、それはそれでやっているのかな。

 

◎本当に思ってることしか言えない

伊藤 難発のときはどんなことを思っていますか?わりと追い詰められるので、何かを思う余裕すらないかもしれないけれど…もし体とものすごく距離があったら「難発現象を眺める」みたいな感じになりうるし、もっと近ければ「私が失敗している」みたいな捉え方もあると思うんですよね。

 

桃子 小中学校のときは、今よりひどくて、先生も厳しい感じだったので、焦って「うわ、言えない」って小パニックになっていました。でも最近は、言い換えられないか、他の表現がないか探しつつ、無理かもと思ったらスマホも操作しはじめつつ、いったん言おうとするのをやめて、ちょっと待ってみたりとか、うーんって言ってみたりとか、やってますね(笑)

 

伊藤 難発になっても、言うためのいろんな手段だったり、時間を稼ぐ手段だったり、けっこう手数が増えてきていて、この状況に対して何ができるか考えているという感じですかね。

 

桃子 たぶんもうそうするしかないなって思うようになっているんだと思います。大学生にもなってくると、まわりから責められることもないので、安心していると思います。小中学校だと音読や英語のスピーキングテストがあるけど、今はゆっくりでもいいたいことを話すんだ、という意識がありますね。

 

伊藤 ご両親はどんなふうに接していたんですか。

 

桃子 母親は、たぶん忙しかったからだと思うんですけど、「何を言っているかわからん」みたいな感じだったんですけど、でも普通に接してくれましたね。

 

伊藤 過剰に心配するというよりはさっぱりしていた感じですかね。

 

桃子 さっぱり…してたと思います。でもあんまり覚えていないですね(笑)

 

伊藤 これから就活の時期になりますよね。

 

桃子 決まったフレーズが言えなくて。本当に思ってることしか言えないんですよね。面接の動画とかを見ても「小芝居じゃん」って思っちゃう。

 

伊藤 本当に思ってることしか言えない、って名言ですね(笑)。

 

桃子 言いにくさがあるから、思ってもないこと言ってもしょうがない。言いにくいのに、何で大変な思いをしてまで思ってもないこと言わなくちゃいけないんだろう(笑)

 

伊藤 そういう意味では、ノートをつけられていたり、普段から言葉を磨いていらっしゃる感じがしますよね。言いたいことは何なのか、というのを丁寧に選んでいらっしゃる感じがします。

 

桃子 うれしいです。

 

伊藤 吃音の人で言葉が嫌いになる人ってあまりいないのが不思議だなと思っていたんですが、そのあたりに秘密があるのかもしれないですね。すらすらしゃべれる人は自分が本当にそう思っているかどうかを検証する時間がないけど、吃音の人は中でいったん回るプロセスがありますよね。

 

桃子 中2のときに、「人権作文」みたいなのがあって、それで自分の吃音のことを書いたら、市の中で一番いいくらいの賞をいただいたんですけど、そのときはまだ吃音に対するしんどさしか見えていなかったんですよね。でも作文にするとなったら、体裁として、「苦しいけど個性なので前向きに生きていきたい」みたいなことを書いてしまった覚えがあって…

 

伊藤 (笑)

 

桃子 そう思えたらいいけどそう思えていなかったのに。しかもそれを市役所で、大人とか他の賞をとった子とか取材の人もいる中で、その作文を読まさせられたんですよ。最初はつまりながらも言えてたんですけど、後半になったら小パニックで息も絶え絶えになっちゃって(笑)。もう6−7年たつので笑い話なんですけど、それで「感動した」とか言われて、消費されているような気持ちになりましたね。苦しさがあっても必ず前向きに生きていかなくちゃいけないとはいえつらいので、それは「やっちゃったなあ」という思い出ですね。今まで話せていなかったので、今回話せて成仏できた感じです。

 

伊藤 ありがとうございます。中学生くらいだと、そのときいろいろ思っていても、すぐには言えないですよね。それが発酵して5年後くらいにでてくるのかもしれないですね。

IMG_3788.jpg

@2023/9/30 京都駅近くの喫茶店にて