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西島玲那さんレクチャー

『記憶する体』のエピソード1に「メモをとる全盲の女性」として登場していただいた西島玲那さんに、私が東大文学部で担当している美学の授業にゲストで来ていただきました。インタビュー形式でレクチャーしていただきましたが、それが素晴らしかった!おもわず全文文字起こししてしまいました。なぜ玲那さんがそこまで「見よう」とするのか。その理由が赤裸々に、でも明るく語られます。 


◎いつもVRを見てる

伊藤 いまの見え方はどんな感じですか?

 

西島 まったく見えないです。ものすごく明るいところにいくとちょっと光を感じるけど、全盲です。15歳で視野が5度になって、19歳で今のような感じになりました。15歳まではふつうの学校に通っていました。

 

伊藤 15歳で急に見えなくなったときはどんな感じでしたか?

 

西島 朝起きた時は気がつかなくて、家から出てアパートの階段を降りたら見えていないことに気づきました。階段ってリズムで降りません?でも降りたら視野5度、覗き穴からのぞいているような感じでした。そのあとは学校に行くのに2時間3時間くらいかかっちゃって。で、携帯を持ってたので先輩に「私どうやら目が悪くなっちゃったみたいなんで」ってメールで送りました。

 

伊藤 そしたら先輩からは何て返ってきました?

 

西島 「了解〜」って(笑)。前から病気をもってることはみんな知っていたんで、誰も泣かなかったし、大変だね、みたいなのもなかった〜(笑)。

 

伊藤 いつか来ると思っていたものがついに来た感じだったんですね。でも、いざ自分が本当にそうなってみると、思っていたのと違うっていうのがあるんじゃないですか?

 

西島 うーん、正直学生のときは、盲学校に行くまでは特に、焦りしかなくて。やりたいこともあるし、勉強も面白いなあと思い始めたときだったから、歩くのも怖くないと言ったら嘘になるけど怖いと言ったらもう終わる、教科書の字ももう読めないし、と思っていました。なんかもう、できないこととやりたいことのせめぎあいで、とにかくとにかく焦っていて、つらい・くやしい・かなしいというのは、もっと大人になってからですね。

 

伊藤 なるほど。その後、盲学校に移って15歳から19歳までは、視野は狭いけど見えていたんですよね。

 

西島 残った視力を使えるようになるまでは数ヶ月かかりました。覗き穴で覗いている感じで、どういうふうに見たら文字がとらえられるかとか、といったことのコツをつかむまでに時間がかかりました。ピントを合わせるのも難しかったんです。近いと視野に入らないし、遠すぎると視力で見えないしで。それが自分でちゃんと調節できるようになるまでが、けっこう時間かかりました。文字が大きく表示されるような画面にしてみたり、白黒反転させてみたり、画面を暗くしてみたり、いろいろ試しました。

 

伊藤 そこから19歳まではその工夫を使って見ていたんですか?

 

西島 すぐ視力が悪くなっていくか、この視力のまま維持できるか分からなかったので、学習をするうえでのサポートがきっちりしてもらえる盲学校にすぐ移りました。最初の1年くらいは残った視力でどうやって勉強するかという感じだったんですが、点字を習うにはちょっとでも早い方がいいということで、点字を習い始めました。学生のうちだと短期集中でがっとトレーニングできますしね。それで目で教科書を見ながらノートは点字でとるとか、点字で教科書をよみながらノートは手で書くとか、そういのをやって、なんとか学校は進んでいきました。なので、見えない人が使うハウツーと、自分がもともとやっていて、今もできるであろうこと、両方をミックスして、都合よくやっていかないと、学校も授業も生活もっていうのが間に合わなかったです。

 

伊藤 れなさんの世界の認識の仕方って、『記憶する体』でも書かせてもらいましが、まさに見えるハウツーと見えないハウツーのミックスですよね。生理的な意味では見えていないんだけど、あらゆる情報を視覚的にイメージしていて、それを見ながら行動している。『記憶する体』では「メモをとる全盲の女性」というタイトルで登場してもらったのですが、れなさんは完全に見えなくなって15年たついまでも文字も絵も書ける。触覚でも聴覚でもなく、他の視覚障害の方にくらべて、圧倒的に「見て」いるのがれなさんの特徴ですよね。もちろん触覚や音も使っているんだけど、それを最終的に視覚情報に変換して理解している。

 今日、ここに来るまでにしばらく、文通みたいな感じでやりとりをさせてもらっていたんでうが、そのなかで「バーチャルリアリティ」っていうキーワードが出て来ましたね。いつも目の前にバーチャルリアリティがあって、逆にそれがないと行動できない、と。それがすごく面白いなと思ったんですが、そもそもどうしてれなさんはそういうふうになったんでしょうか。

 

西島 うーん。いまパソコン打ってる方いますよね。

 

学生A  はい

 

西島 あ、いいんですよ打ってて(笑)目を閉じて、「あいうえお」って打ってみてください。

 

学生A (キーボードで「あいうえお」)はい。

 

西島 確認してください。打ててます?

 

学生A はい、打ててます。

 

西島 ビビりません?これで二度と目を開けられない、となったら。「あいうえお」って打っても、でも確認できないんです。要するに、見たいんですよ。これはまだケガに直結しないからいいんですけど。あっごめんなさい「あいうえお」消してもいいですよ(笑)。

 自分が起こした行動をまず確認できないし、手を動かすだけだったらケガも伴わないけど、いざ歩くとなると、ケガするかもしれない。たぶんいまここにいる人はみんな見えてるから、目をつぶってもらってここから出てもらうっていうのを考えたら、むちゃくちゃイヤだと思うんですよ。で、「見たい」っていう気持ちにすぐなるはずだから、自分で、その現実を逃れるために、「見える」っていう映像を持ってないとだめなんです。怖いとどういう動きになるかというと、とにかく縮こまっちゃって、生きてて情けなくなる。あと杖を最初に持ち始めたときは、とにかく杖を持っている自分について何か言う人の声ばっかり入ってくるんです。それが、すごーく、15歳で多感な時期だったから(笑)、「ちゃんと、歩こう」と思うと、もう、だますしかない、と。見えてる見えてる見えてる見えてる見えてる見えてる大丈夫。みたいな(笑)

 

◎見える人と同じものを見るために

伊藤 そうなんだ〜!やっぱり「見たい」っていう気持ちがあるから見えるんですね。

 

西島 そうです。最初は黒い画面に黄緑色の…なんか書くものありますか?

 

伊藤 ありますよ。後ろに黒板があります。

 

西島 (立ち上がってコンコンと黒板を叩く)あ、横はけっこう広いですね。

 

伊藤 これで分かるの?

 

西島 分かりますよ!端はだいだいこの辺で、こっちはこの辺…だいたい合ってます?

 

ゆうじさん うん、だいたいね。

 

西島 いまこれ緑色ですよね?まさにこんな色のなかに、こういう感じでビルがあって(道の両側にビルが建っている図を描く)、こんな感じで線が書いてある感じです。

 

伊藤 ああ、これが最初の頃のVRということですか?

 

西島 そうそうそう。線が描いてある感じ。いまは画像があってVRみたいな感じだけど。

 

伊藤 れなさんVR体験したことあるの?

 

西島 私?ないですないです。VRの説明を最初に聞いたとき、私のやつのほうがずっと最新、って思ってましたよ(笑)。私はずっと前からVRだもん。

 

伊藤 (笑)

 

西島 私のなかではこの黒板は見えてます。で、壁は上が白で下も白、で縁が銀。で、黒板も、ライトが当たってたら、てかてかってするゾーンがあって。

 

伊藤 VRがすごーく細かいんですよね。ほんとに最新型ですよ。

 

西島 それが見えなくなった最初はこんなに簡素なものだったんです。

 

伊藤 最初は「てかてか」とかなかったんですね。

 

西島 そうです。むかーしのCGみたいな、ピーっと線を自分で作っていってその中を杖をついて歩くみたな感じですね。で、何にもぶつからずに駅まで行けたら100万円(笑)みたいな気持ちになってました。最初はこんな単純な線だったんですが、だんだん「とびらができました」(建物にドアを描く)とか、「犬がつながれてます」とか「そいつが吠えてくるようになる」とか(ドアの前に犬を描く)、そういうのがだんだん増えていって、いまに至ってます。

 

伊藤 ちょっと待って。れなさんがメモを書いているところは見たことあったけど、板書しているところは今日初めてみたのでびっくりしてるんですが、板書もできるんですね。難しくないですか?

 

西島 板書は小学校の講演なんかだとバカうけなんで(笑)。

 

伊藤 メモだと手元で狭いから分かるんですけど、板書だと体全体を使うし、立ち位置も動きますよね。

 

西島 むしろ板書のほうが楽ですね。体全部うごけたほうが、記憶しやすい。狭いほうが細かいので、とらえるのが難しいですけど、大きい方が、スポーツのフォームをインプットするような感じで楽です。

たとえば、「い」「と」「う」と板書すると(各文字を離して書く)、それぞれ書いたときの動きを記憶しておいて、それでもどって丸をつけたりできます。

 

伊藤 記憶のなかに場所が入っているんですね

 

西島 意識的に覚えてないですけどね。ちょっと離れて見ると、自分の中の視野に「い」「と」「う」が全文入ってくれるから、「う」をもうちょっと右にすればよかったな、とか思います(笑)。逆に近寄れば、「う」が見えなくなったり、「う」を見たら「い」がちょっと離れたり、切れちゃったりします。

 

伊藤 視野があるんですね。それって記憶しておかなければならない量が増えるので、けっこう大変な気がするんですよね。でもVRは基本的にオートマチックに出てくるって言ってたから、たぶんすごく苦労している自覚は、今はないんですかね。

 

西島 いまはないですね。VRが自分にとって絶対に必要だなと思ったのは、健常者、見えている人たちと、関わるためだったんです。あったら共有できる。その「共有できる」っていうスペックがものすごく強いなと思ったんで、そう思ってからは、けっこう意識的にいろんなものを観察して、自分の中でつくる映像と現実を照合していくトレーニングをしたりとかしました。でも、ものを書く、書かないみたいなことを意識したわけじゃないです。

 

西島 れなさんって集中力高いなと思うと当時に、まわりの情報をすごくキャッチしてますよね。私がどうしてるとか、セラフがどうしてるとか、よく見てますよね。「観察してる」というのがよく分かります。キャッチした情報が多いからVRの精度が上がるんですかね。

 

西島 そうですねえ。どうでしょう、どうなんでしょう。たぶん最初は自分にとって必要なものをキャッチするという感じだったんですけど、勝手に入ってくるものもキャッチしたくなって。で、拒否しなければしないほど、自分がもともともっていたはずの視力では見えないはずのものが見えてくるんですよね。

たとえば、行ったことのない駅を目指して歩いていくときに、「まもなく○番線に…」という声が聞こえると、けっこうそれを集中して聞いていたりします。すると、その駅にホームが何本あって、何線で、どこ行きで、ということが言葉で入ってきて、そうすると駅の規模がだいたい見えてきて、何線何線ということが分かると、それぞれの線路がどう走っていて、ということがイメージできて、そうすると今いるのがここだから…っていう感じで、だいたいの地図情報が自分のなかで出てくる。それで今度は自分の向いている方向と、太陽の方向から、駅がどういうふうに見えるかということが景色になって見えてくる。そうすると、自分に今見えている道路の映像をいったん切り替えて、駅と現在地のあいだにはさんでいる建物とかがいろいろあるはずだけどそれは無視して、だいたい私のなかでは駅がこっちで距離はこれくらい、とかそういうのが見えてきます。

 

伊藤 そこすごく気になるんです。先週末参加しマンガのシンポジウムで、正岡子規の「絵画的観念」と「地図的観念」という考え方が話題になりました。俳句を作るときに、世界を自分の視点から絵画のように水平に見ていくタイプの見方と、上から俯瞰してマップのように見ていく見方があって、どちらの視点から詠むかで論争があったそうなんです。いまのれなさんの話は、駅の場内アナウンスから駅まわりのマップを作って、それをあとから絵画的視点にスイッチして、景色として見ていますよね。

 

西島 そうですね。上空から見た感じのマップというのは、自分個人だけを考えたら、本当は必要ないんですよ。できあがってくるのは自分から見た景色だけなんですけど、上から見た映像がないと、人と共有できないんですよ。歩いていて、だれか人を見つけて、「すいません」って聞けるときに、その人との情報共有ができないので、上から見られるようにしておくと、会話のやりとりができるし、「すいません私の手に指で書いてください」って急に盲人っぽくお願いしたりできるし(笑)。その共有するタスクが、上空から見た視点なんですけど、自分個人のなかではそれはいらない能力なので、だからさっき板書したみたいに、最初は自分から見た景色しか作れなかったんです。人と共有するためには、一緒に、同じものを見なくちゃいけない。しかも地図だと広範囲が見れるじゃないですか。でも、たまに地図が読めない人がいるんですよ(笑)。そしたら今度は一緒の主観位置に切り替えするんです。「こっちから見て右ですか?」って。あってるかわからないけど、Googleストリートビューと、Googleマップのあいだで切り替えする感じですね。

 

伊藤 なるほど!共有するために、どっちも使えるようにしてるんですね。でも、その主観ショットもかなり厳密ですよね。さっきの「い」「と」「う」みたいに、近づくと視界が見切れたり、前にメールで言っていたのは、キャップをかぶると視界が遮られて見づらくなる、と。

 

西島 キャップは、かぶるとツバが邪魔だなあと10年以上思っていたんです(笑)。でも先日夫に聞いたら、「そんなことないよ」と言われて。自分で自分を見づらくしてた(笑)。視界につばがはいるんじゃないかとか、影ができるんじゃないかとか、いろんなことを考えていたんですよね。その日は、自分VRの修正がすっと行かず、次の日もう一度かぶったら「あー見やすい!」ってなってました。視界開けた〜!って(笑)。

 

伊藤 (笑)VRの修正もあるんですね。

 

西島 そうですね。それも意図的にやるときと、自分の意識とは別に修正されるときとあります。

 

伊藤 自分の意識とは関係なく修正されるときって、たとえばどんなときですか?何か情報が入ってくるときですか?

 

西島 そうですね。一番多いのは、匂いだの音だのといった情報が入ってきたときですね。

 

伊藤 なるほど。匂いがして、「あ、パン屋さんあったんだ」みたいな。

 

西島 そうそうそうです。「〇〇屋だと思ってたのに△△屋かよ!」みたいなこととか、ラーメン屋に暖簾つけてみたりとか、しますね(笑)。

 

伊藤 VRだけど、マイクラっぽいというか、町を作ってる感じですね。

 

西島 そうです。でも一時期自分でデコレーションしすぎちゃって、だいぶ現実と離れちゃったことがあって、消したりしましたね(笑)。「あそこに〇〇あったよね」って言っても「ないない」って言われて、何にも共有できなくなっちゃったんで(笑)

 

◎視線を追っかける

伊藤 そのれなさん内VRをむしろ細かく聞き出して共有したいですね。家のまわりのVRがやはり一番細かいんでしょうか。

 

ゆうじ れなの実家の近くのような、ぼくが不慣れで、れなの方が詳しい場所だと、れなに道を教えてもらうことがあります。駐車場に車を止めて、あれどっちだっけ、ってなったときに、教えてもらいます。

 

西島 車の中で教えることもあります。「もう少ししたら右だから」とか。

 

ゆうじ そうだね。車のナビは最近あんまりしなくなったね。

 

西島 引っ越したからね。夫は多少迷惑をかけられるからいいんですけど、タクシーの運転手さんをナビするときは、道路の傾斜だの、ウィンカーの音だの、運転手さんの視線をみながら、気を使っていますね。

 

伊藤 視線?

 

西島 そうですね。運転手さんの視線を感じてますね。

 

伊藤 運転手さんがしゃべっているから声の向きで視線が分かるということですか?

 

西島 そういうのもあるし、しゃべってなくても視線を追っかけてますね。えっとね、それ、今はあまり意識していないんですが、最初は見えている人の動きをモノマネするみたいに真似していました。

 

伊藤 モノマネ?…すごい寄ってきた(笑)

 

西島 (伊藤の正面に来て、伊藤が首を傾けると、それに合わせて首を傾ける)こうやって、鏡みたいに相手の動きに合わせて動いていたんです。

 

伊藤 しゃべっているから分かるのかな?体の向きや動きをトレースしているんですね。

 

西島 そのトレースをだんだん細かくしていって、その人の癖までもをコピーしていくようになりました。そうしているうちに、あまり意識せずに、その人がどういう動きをしているかが分かるようになってきたんで、それで、その人の視線ももらって、現在地というか、状況とかを把握するようにしたりとかしています。だから意識的に情報をキャッチするというよりは、動くものを、正確にとらえて、そこから飛んで来た情報をBluetoothでキャッチして、自分の映像に反映させる。で、その映像を、見えている人と、なるべく正確に共有することで、自分のつくっている映像の整合性をとっていく。

 

伊藤 動きなんですね、ポイトントは。でもそれが自動的にできるようになったわけではなくて、訓練して工夫する段階があったんですね。

 

西島 最初は、具体的な目的があったというよりは、「見えてたときどうやってたかな」とか、歳が近い女の子のしぐさとか、流行りの動作、古いからちょっと恥ずかしいけど「ゲッツ!」とか、あるじゃないですか(笑)。そういうのとかを、なるべく流行りを取り入れて(笑)。

 

伊藤 まえに二人で話しているときも、私が頬杖ついていたら、「いま頬杖ついていますよね」って分かりましたよね。あれは声で分かったのかな?

 

西島 勘です。音からもらう情報量というのもあるんですが、音だけですというのも嘘になっちゃう。自分の感覚で言うなら「勘」がいちばん近い。

 

伊藤 勘っていうのはおそらく経験知の塊みたいなもので、いちいち分析して「ここがこうなって、こっちがこうだから、頬杖」みたいに分析しているわけではなく、ぱっと分かる、ということですよね。

 

◎VRの修正

伊藤 さっきのVRの修正の話にもどってもいいですか。意識して書き換えるときと、意識しないで書き換わるときと、意識してもなかなか書き換わらないときがあると思うんですが、いまこの教室に入ってきて、VR環境的にはどうですか?いままだあんまり学生は発言していないですが…。

 

西島 えっとね。私のなかで「いる」方は、あそこに(右手)にパソコンの方でしょ、でそのとなりに一人、であそこ(真ん中奥)に二人いて、ひとりが奥、手前にひとり…

 

伊藤 いまね、テーブルを四角く並べてその周りに座っているので、手前には席はないんです。

 

西島 あれ、私のなかでは真ん中に知らないおじさんがいる(笑)消さなきゃ(笑)

 

伊藤 (笑)

 

西島 このまえもうどん屋さんで、カウンターに座っていたんですけど、私のなかではおじさんがいたんですよ(笑)

 

伊藤 おじさん何で登場したんですかね?

 

西島 あっ、あそこにいま女の子がいる!

 

伊藤 いますいます。

 

西島 で、こっち(左)にはっきり見えてるのが一人、でももう一人いるっぽいんですよ、奥に。もしいたら申し訳ないんですけど、半透明なんです(笑)。まだはっきりしてないんです。

男女でいうと、右側から男性、?、女性、女性、男性、かな?声を聞いていないから分からないですが…。あくまで私VRなので、みなさんのせいじゃないです(笑)勝手に作っていって、情報をもらっていくと、修正されていきます。身長とか体格とか性別とかが、だんんだん更新されていきます。

 

伊藤 いまのでもかなり正確だと思うんですが、どうして性別が分かったんですか?

 

西島 あんまり正確には覚えていないんですが、途中から入られた方とかは、入ったときの足音とか、雰囲気とか、声とか、あさ先生の反応とかを見て、だいたい性別を決めてる。

 

伊藤 でも今日ゲストとして来ていて、ふつうはすごく緊張していると思うんですよね。緊張していると私と話すことに精一杯で、あまり情報が入らないんじゃないかと思うんですが…

 

西島 緊張してますよ(笑)

 

伊藤 緊張と関係なく入ってくるということですね。

 

西島 入ってきます、入ってきます。足音で性別が分かるというのもあるし、冬は着てるものでも分かります。あとはみなさん持ち物にキーホルダーとかのかざりがなかったので、地味なんじゃないかとか(笑)。かばんをテーブルに置いたときの音でかばんの素材が分かったり、中身がどのくらい入っているのかも分かります。そういうのとかを使って、自分は話に集中していても、教室側の映像は作ったりしてますね。それで、振り返ったときには、もう「ある」という状態にしてますね。

 

伊藤 なるほど。でも疲れません?

 

西島 疲れますよね。何ででしょうね。何でここまでやるんですかね。

 

◎セラフBluetooth /夫Bluetooth/夫ケーブル接続

伊藤 れなさんがそうやってまわりの情報をキャッチしてVRをつくるときに、さっき「Bluetooth」って言ってましたよね。動くものの情報を遠隔でキャッチして、そのをVRに反映する。そのBluetoothについても教えてもらえますか?たとえばふだん、セラフやだんなさんからどんな情報をキャッチしますか?

 

西島 セラフBluetoothが送ってくる情報は、物体がどこにある、とかそういうもので、感情が入る余地がない。セラフが感情的な何かを伝えてくるときには、自分の都合で自分の感情を伝えてくるだけです。たとえば「このまままっすぐいくと、私にとってあぶないものがある」とかいったことはセラフ送ってこなくて、「ものがある」というだけですね。

 

伊藤 なるほど。「送る」ってどういうことですかね。リードを引っ張るということですか?

 

西島 うーん、それがこの子リードをひっぱらないし、吠えないんですよね。顔の向きや、確認のためにこっち見たりするのが分かるんですよね、あと視線は追いかけますね。

 

伊藤 あ、みんなのために説明しておくと、セラフはもともと盲導犬だった犬で、いまは引退しています。だから盲導犬のリードは今はつけていません。

 

西島 盲導犬として動いてくれたのは12年です。会ったのはセラフが2歳ときです。最初は8年くらいが目安ですよって言われていたんですが、人間も働き方改革とか人生100年計画とかあるじゃないですか(笑)。セラフの場合は最初は8年くらいと言われていたけど、健康状態が優先なので、結局12年になりました。コスパいいんです(笑)

 

伊藤 セラフ、自分の話だと分かってますね(笑)

 

ゆうじ 甘えたくて甘えたくてしょうがいみたいです。ふだん音を出してあくびすることはないんですけど、さっきアピールしてました(笑)

 

伊藤 れなさんとの一心同体感がすごいですね。

 

西島 この子のおもしろいところは、リードをとっても、自分にとっては目の情報としてすごく大きくて。たとえば初めて行くホテルの部屋に入ったときに放しておくと、動くから、広さとか、ベッドがどこにあるかとか、セラフが通ったとおりに空間ができていきます。よく、見えない他の人も、空間の広さは音の反響でだいたい分かるんで、まあ、ベッドはここに置かれるよね、といったことが自ずと決まっていきます。

 

伊藤 だんなさんBluetoothはどうですか?

 

西島 セラフBluetoothと違うところが二つあるんですけど、一つは、私の意志と連動して動かせるという良さがあって。たとえば「この棚を読んで」と言ったら読んでくれるんですよね。「これ見て」って言ったら見てくれる。自分が見たいものを見るときには夫Bluetoothの視線を追いかけますね。一番便利なのはメニューですね。メニューを読んでもらうときに、その視線を追って行くと、何ページに何の料理がある、というのがだいたい分かります。見えている人はそんなの覚えていないから「そんなのあった?」ってなるんだけど、「3ページめの右上にありますよ」って(笑)。その人が何を見ていて何を考えているのかな、というのが、たぶんすごく気になるんだと思うんですよ。

 

伊藤 考えていることが体の動きに案外出ていて、だから読めちゃうんですね。

 

西島 人間Bluetoothのいいところは、それをある程度自分の言葉で誘導して、動かして、っていうことができることなんですけど、セラフにはそれがないですね。

 もうひとつ夫Bluetoothならではの特徴は、感情がとどきやすい、ということです。具体的には、危ない、怖い、驚き、のような身の危険に直結するようなものは伝わりますね。「はっっ!」ってやると伝わるじゃないですか。そういうのが、じっさいに何が起きた、何を見ているということより先に、入ってくるから、身構えることができる。目が見えている人がボールが飛んできたときに目をつむるじゃないですか。ああいう感じで、瞬間的にそれに用意するということは、夫Bluetoothを介してできますね。

ホラー映画とかを見ていても、解説を読むとあんまり怖くないことが多いんですけど、夫の「ああああっ!」っていうのがあると、先に怖くなって「で、何があったんですか?」って(笑)。

 

伊藤 笑いはどうですか?

 

西島 それもありますね。逆に、私が先に笑って、夫が「何で笑ってるの?」って聞いてくることもあります。私の画面のなかの、私がつくった映像の中では動きが可笑しかったというのはあります。でも笑いは身の危険に直結しないから、それに対してあんまり緊張感がないんだと思います。怖いとおどろくはすごく早く届きますね。

 

伊藤 ゆうじさん、いかがですか?

 

ゆうじ 手をつないでスーパーで買い物をするときに、夕方で混んでいて歩きにくくしていたりすると、そういうのが自然と伝わったりしますね。あと狭いところを通るときに、何も言わなくてもすっと体を横にすると自動的にやってくれたりしますね。

 

西島 夫とは、こうして離れているときに情報をキャッチし合うこともあれば、手をつないで手から直接、ケーブル接続で(笑)得る情報もあります。手の握る力だったり、手にかいている汗だったり、そういうもので、すごくダイレクトに分かりやすいこともあります。ケーブル接続すると、Bluetoothとちがって、タイムラグのブレがないんで、早いです。でも夫ケーブル接続は、逆に人が多くなったりして、固くなることがあります。ややパソコンフリーズ状態みたいな感じになると、むしろ、こっちがキャッチする情報をすごく少なくなるんです。

 

伊藤 緊張しちゃうと、情報が来なくなるんですね。

 

西島 そうなんです。だから結婚して最初の数ヶ月間は、すっごく分かりにくかったんですけど、今は緩急もはっきりするし、段差があるときも、言葉で言わなくても力が抜けていると分かりやすいですね。それがBluetoothになると、情報がすっと入ってくるときと、間があるときと、あります。

 

伊藤 なるほど、情報の量もいつも同じではないわけですね。

 

西島 そうです。Bluetoothさながらにブレブレです。あとは、私のバッテリーの残量ですね(笑)。送る側と受信する側の状況によりますね。

 

伊藤 めちゃ面白いですね。ずっと話していたいですが、少しみなさんからの質問も受けましょうか。どうでしょうか。

 

◎わたしが一番障害者に偏見がある

学生B  VRが修正の可能性を持っているということは、常に頼りきれない感じがあると思うのですが、そのあたりはどう経験されていますか。

 

西島 VRを持っていると、たとえばスポーツをするときにとても有利です。狙うべき的が見えていたりするわけですからね。でも緊張していたり、相手の音にだまされたりすると、自分のVRが信用できなくなるんです。信用できないことが、かなりチームや自分の利益に反映されると思えば思うほど、信用度を自分でガクンと下げて行くんです。なので、信用はしていないけれど、見えていたほうが便利なので、作っているという感じですね。信頼しないことも含めて能力と思って、何かするときには使っています。でも日常生活においては、見えていた頃も、本当はないのにあるように見えていた経験もあるんですよ。傘立てがないのにあるように感じてよけていたりとか。それに近いような感じで、あまり深くは考えていないです。でも階段とか、段差だとか、実際に身の危険があればあるほど、スポーツのときと同じように、信頼度と自分の体と感覚と準備を意識するときはありますね。

 

学生B VRのレベル感というのもいろいろ変わってくるということですね。

 

西島 そうですそうです。答えになってたかな?

 

学生B  いえ、ありがとうございます。

 

伊藤 面白いですね。さっき「半透明に見えていた」というのは、また信頼とは別の話ですよね。単に情報が少ないということですよね。

 

西島 自分のなかで、勝手に半透明にとどめていて。私の目の前にいたおじさんも、今はいないですけど、やや透けてたし(笑)。でも実際になくても、あったほうが便利だからVRで作ることもあります。暗いところでセラフのトイレをしているときに、見づらいので、街灯つけてみたりとかします(笑)「ああ、いたいたいた」って(笑)

 

伊藤 (笑)「明るくする」んじゃなくて、「街灯を設置する」という感じなんですね。

 

西島 なので、信頼度というところでは、あまり信用できないです。いつ夜になったか、本当のところ分からないので。なので、ときどき確認して、夜だとわかったらシュッと暗くしてます。風流じゃない(笑)

 

学生C お話うかがっていて、すごい見えているなあ、と素朴に思うんです。さっきのレストランのメニューのように、ぼくらみたい見えている人よりももっと見えていることさえある。見るっていることに対してすごく豊かな感じがしたんですよね。ぼくらの世代はみんなスマホばっかりで、ちゃんと人の目を見て話すということが減っていると思います。

 

西島 ありがとうございます。でもそれよりも、ちょっとひがみっぽいものを持っていて、「どうせいつでも見れるんだろ」って思ってます。「見たいときに見れるんだろ」って。そのねたみ・ひがみ・そねみは、ありますねえ(笑)。すごくあります。いくら字が書けようとも、自分でメモとれようとも、結婚する前はすごく記憶力がよかったです。ドラマとか、自分で見たものを全部覚えてた。映画もキャストまで全部、やたらめったら覚えてた。今は「あれ、何に出てた人だっけ?」って言えば調べてもらえちゃうので、自分で書いたことさえあまり覚えていなくなっちゃった。真剣に見えなくなっちゃった。そういうのは、私にも身に覚えがあるので、前ほどのひがみ感はないですけど、いまでも写真をとるのが大好きです。何かとっておきたい。カメラを自分が無くした目そのものだとしてとるんです。まあ、とってるのはほぼほぼ犬ですけどね(笑)。いつかお別れがきちゃう、というのがあって、だから自分の手元に持っておきたいという強い願望がある。スマホが普及する前から、「どうせいつでも見れるんだろ」というのはどうしてもあって、なるべく見えていたときと同じ量の経験を残しておきたいというがめつい気持ちはありますね。

 

伊藤 それはとても大事なポイントですね。やっぱりそういう思いがあってこそのVRだしBluetoothなんですよね。れなさんって、たぶん超能力視覚障害者みたいな感じで見られがちだと思うんですよね。ふるまいも見えているみたいだし。でもそれって、別に超能力でも何でもなくて、「見たい」という強い思いや、ねたみ・ひがみ・そねみが作り上げた能力なんですよね。

 

西島 あと、さっきの質問からちょっと離れちゃうんですけど、「所詮人は見た目だろ」と思っているんです。いまだにそう思っているし、昔はもっと思っていました。(セラフが寄ってくる)セラは可愛いから大丈夫(笑)。見た目と中身が違うね、と言われるのって、見た目のハードルを超えてそう思ってもらえるところにいけるから、見た目がいいとかわるいとか、そういうことはさておき、最初のハードルを超えられるはずの姿をしているかしていないかというのがすごく大きいと思っているんですよ。わたしも杖を持っていなくてセラフを歩いていれば、ふつうの人になれるんですけど、でも実際は杖をもっていないと、自分が危なけじゃなくて人に迷惑をかけちゃうんで、持ってなきゃいけない。ふつうの格好をしているときに得られるものと、たかだか杖を持っているだけで得られなくなったものの、ボーダーラインってほんとに杖一本なんですよね。ただそれだけだっていう経験が、どうしても頭から抜けないんです。

自分自身が健常者だったから、夫にも最近気がついてはっきり言ったんですけど、わたしが一番障害者に偏見がある。だから、いま出会っていて、目の前にいる人の見た目ってすごく大事にしているんです。そういう準備をちゃんとして自分の前にあらわれてくれたっていうことを大事にしている。なので、VRが実際の生活にどれだけ役立つかというと、さっきの信頼度ということとすごくつながりがあるんですけど、自分の便利は半分以下ですよね。安心感ということを考えると、本当は思い込みもあって危ないんですよ。でもやっぱりVR状態で生活してても、自分の見えていたときの感覚をすっぽり抜かしちゃって、すごく自分で自分のことが恥ずかしいと感じることがあるんですよ。そっちのほうが怪我をするよりよっぽど怖い。ほんとは見た目も含めて、立ち居振る舞いも含めてあって、その先に、その人の思想とか文化とかがあるので、自分の目の前にいる人の見た目をあまり無下にしたくないというのがあります。

 

学生D VRって自分から世界がどう見えるかということだと思うんですが、いまの話だと自分が人からどう見ているのかっていうのも、ものすごく大事なポイントとしてあるわけですね。VRの中に自分の見え方も含まれているっていうことなんでしょうか?鏡がある感じなんですか?

 

西島 あ、いえいえ、相手が自分をどう見ているかを見ています。ラッキーなことにあまりないんですけど、たとえばズボンのファスナーがあいていて、杖持っていると、「あー見えてないとこういうこともあるよなあ」みたいなふうに見えちゃってる、そういうことを見ています。自分の姿を見ているというよりは、まわりの人が自分と対峙して、自分をどう見ているかっていうことを気にしています。あ、でも気にしすぎているんです(笑)。自分で自分の首を絞めているところは往々にしてあります。

 

◎快適さは人を孤独にする

学生E ぼく建築学科なんですけど、好きな場所とか、行って気に入った施設や建物があったら教えてください。

 

西島 見えてた頃編、見えなくなってから編っていうのがあるんですけど(笑)、見えてた頃編は、圧倒的にハワイです。ハワイ島です。何にもなかったんですよね。溶岩がばーってあって、道があって、それで空!っていうのが(笑)。とにかく子供のころも色の識別が弱いというのがあったらしいんです。南の島の風景ってすごく見やすいんだと思うんですよね。青い空、白い砂、エメラルドグリーンの海。食べ物や花も、色がはっきりしていて、「美しい」というのが分かりやすかったですね。

見えなくなってからは、南国シリーズで言うならば、沖縄です。沖縄に初めていったのは見えなくなってからなんですけど、空気の感じがハワイそっくり!って思いました(笑)。単純に自分がもともと好きだったハワイに体感が近かったから、おのずと自分がつくる映像が、そっちに勝手に寄っていくので、まあ美しい美しいと思っていて。あとは、燃えちゃったんで悲しいですけど首里城に行ったりすると、なんとなく自分のなかでの琉球王国というのがイメージであるので、そういうのにひたって楽しんでいます。現実とは違うかもしれないんですけど、「わたし首里城」がVRであるんで、そこを歩いたりするのがすごく好きですね。その2箇所は見えていたときの記憶の心地よさを、見えなくなってから体験できたっていうもので、好きです。

 他にもいくつか好きなところがあって、セラフと二人でよく温泉に行ったんですよ。で、温泉のなかでは杖がつけないので、手探りでひとりでお風呂に入ったり、セラフと迷子になりながら、駅からお宿まで行ったり、その冒険がとにかく楽しくて。迷う→助けてもらう→仲良くなる→セラフの写真をくばって覚えてもらう→盲導犬をよろしくお願いしますって言う(笑)、そういうトラブルもふくめて温泉が楽しかった。旅行に行くと、行った場所はどこも好きになりますね。

 あとは日本の城が好きなんです。城は、ノーVRで行くんですよ。行くと、だいたい歴史大好きおじさんがいるんです。それでそのおじさんと3時間くらい、ずっと話を聞いていて、いろんな情報をもらって、帰るときにVRを作って帰るんです(笑)。その場所にガイドしてくれる人がいたりする場合には、自分のVRを一回バチンと落として、ナシにして、その人がくれる情報がなるべくストレートに入ってくるようにしておいたりします。

 あと台湾もよかったです(笑)。道がガタガタでアスレチックみたいで楽しかったです。怖いのってとっても楽しいんです。

 施設だとディスニーランドですかね(笑)。ディズニーランドはわたしガイドできますから。でもディスニーシーは見たことないんですよ。行って、ちょとずつあたま地図を作っているんです。でもディズニーランドのほうが完成度が高いです(笑)

 

学生E 快適に過ごせるようになっているところよりも、ちょっと危険が残っていたりするところのほうが、楽しかったりするんですね。

 

西島 そうなんです。快適さっていうのは、人を孤独にしますよ。なんの手助けもなく行けちゃうし、それってあんまり時間短縮にもならないんですよ。平坦で安全なところを通ってると、自分だけで情報をキャッチしなくちゃいけないんで、なんかあんまり入ってきてない気がしちゃう。あまりにうるさかったり、混んでいると困るんですが、ある程度人間やら動物やら生き物がいて、なおかつあんまり整っていないところがいいですね。あとは、見た目にこだわった建物はすごく楽しいです。ホテルの内観が見た目を意識して作っているじゃないですか。それがすごく楽しいです。自分ならどうするっていうことも含めて、すごく楽しいです。

 

伊藤 単に便利なだけじゃなくて、装飾があったり、変わった形になっているほうが、楽しめるんですね。

 

西島 そういうところに行くと、車椅子の人どうしているんだろう、とかもよく思うんですよ。なんてことないように過ごしている人もいたり、わたしだったらこうするのにと思うようなことがあっても、いざそうなってみると案外そうじゃないのかもしれないとか、建物のような大きい人工物ってすごく想像力をかきたてられます。

 

 (2019/12/17東大本郷キャンパスにて)